2008年9月アーカイブ

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 明治35年9月19日に没した俳人子規の追悼

句には/朝寒や柩を送る黍畑・春郊/のよう

に「朝寒」を季語にした句が多い。

 又、大正5年12月9日に没した文豪漱石の

追悼句には/木枯や庭の描碑に薄日さす・東

彩/のように「木枯」を季語にした句が多く、

作品に因んで「猫」を題材にした句もある。

 さて、俳人の彼なら私にどんな句を供すだ

ろうか。いや、その逆かな?お互い、吾や先、

人や先、明日の事が分らぬ年になった。

平成12年12月

黍畑=きびばたけ

春郊=のどかな春の郊外

「わしらも年をとってもう枯木じゃのう」

「うん、枯木や枯葉は朽ちて次の新しい芽を

育てる肥やしになる。人に嫌われるゴミに

なっちゃーいけんが、ええ肥やしになりた

いもんよのー」

「あんたはまだ水気が十分残っとるけえ、枯

木とは言えんで」

「えっ、そりゃあ色気があるということかい」

 週に一度、老友夫婦を訪ねて、こんな他愛

の無い会話を楽しんでいる。

平成12年11月

 わが家の婿殿は「釣りバカ日誌」の主人公

ハマちゃんのように釣りが好きで腕も良い。

 その上獲物を自分でさばき、料理も色々工

夫して食べさせてくれる。お陰でいつも獲れ

たての最高の味を賞味する恩恵を受けている。

 ところが釣りには腕と良い餌が欠かせない

が、男女の恋愛にも同じ事が言える。やはり

甘い言葉や贈り物などの腕と餌が必要だ。

 さて、こんな良い婿殿を釣り上げたウチの

娘もなかなかの腕、餌は何だったのだろう。

平成12年10月

 稲、麦などの農作物は言うに及ばず、その

他の栽培植物や、飼育動物の品種改良は昔か

ら広く行われていた。

 更に最近では、生物学・遺伝学の進歩によ

って加速され、品種改良にとどまらず、遺伝

子の研究から生命の仕組みが解明され、難病

の診断・治療やクローン、遺伝子組み替えな

どの生命操作まで可能になった。

 種なし西瓜やピオーネは大歓迎だが、遺伝

子組み替え大豆で作った豆腐は遠慮したい。

平成12年9月

 近頃は、稲架や「わらぐろ」などの農村の

秋の風物詩がめったに見られなくなった。

 稲作の機械化によって刈り取りと同時に脱

穀され、稲束は短く切り刻まれて田に撒かれ

るからだ。日本では主食の米を稲作で得るだ

けではなく、藁を雪囲いや家畜の敷き藁、畳の

床に利用したり、筵や俵、かます、縄、草履

藁沓などを作る豊かな藁文化があった。

 省力化によってそれらは姿を消し、過疎に

なった農村には廃屋や休耕田が生まれた。

平成12年9月

稲架=はさ、はざ、はせ、はぜ、はで  昔は稲を束にくくって、稲架に掛けて乾燥させた。

藁=わら

草履=ぞうり

筵=むしろ

俵=たわら

かます=藁を編んで作った大きな袋

 

 唄われよーわしゃ囃す/恋の八尾はおわら

雪の中/キタサノサードッコイサノサーサ。

哀調を帯びた胡弓の音色と絶え絶えの声を

引いた歌い手の声が高まる。編傘を被った男

女の踊り手の列は、ゆったりした動きでぼん

ぼりの灯るゆるい坂道を静かに下って来る。

 傍らにいるのは「あなたと一度きりでいいか

ら風の盆に行ってみたい」と言った、小説「

風の盆恋歌」の女主人公えり子ではなく、酒

と俳句をこの上なく愛する老友だった。

十行随筆  2008年8月

 

囃す(はやす)

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 山陰の松江に、人様の面倒をよくみる気立てのええ一人の爺様がおったと。

 ある時、爺様は飼うていた鈴虫を隣の家の婆様と分けることになった。だが虫を入れた甕の蓋を開けた時、虫が逃げ出したらつかまえるのに手古摺るだろうと案じて、四畳半に蚊帳を吊り、その中で婆様と一匹ずつ虫の数を数えながら、仲良く分けたげな。

 そしてやっと分け終わって、お茶を持って来た爺様の連れ合いの婆様に、隣の婆様が「ねえ、ツルさん。わたしゃあ、もし生まれかわれたらここのお爺さんと夫婦になりたいがあんたそれでもええ?」と聞いたんと。するとその婆様は「ああ、ええよ」と別に嫉妬する風もなく、いとも簡単に答えたそうな。

 これは私の知り合いの女性から聞いた。彼女と舅と姑さんの実話だ。姑さんは夫が亡くなった後も蚊帳を吊る頃になると、その話を家族によく聞かせたそうだ。女にもてた我が亭主を誇らし気な様子がうかがえて面白い。

  一枚随筆  平成12年7月

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 駅長がそばを打って食べさせる駅があると友人から聞き、早速連休に行ってみた。場所は松本清張の小説「砂の器」にも登場するJR木次線亀嵩駅である。屋号は扇屋だ。

 主の杠(ゆずりは)隆吉氏は、もとは農業をしていたが、国鉄合理化に伴う業務の民間委託を町から頼まれた。そして昔はこの駅でそば粉を貨車に積むほど作られ、近くに粉をひく水車小屋も残っていたことから、昭和四十八年に駅で手打ちのそば屋を始めた。

 さて肝心の味の方であるが、同行したグルメ通のカミさんは「通りがかりのついでに寄るんならええが、わざわざ食べに来るほどではないねえ」と採点が辛い。そう言われればなるほどそばつゆがやや醤油辛いようだし、そばの打ち方も素人くさい。しかし、割子そば一人前が五八〇円だから腹は立てられぬ。

 私は味よりも、壁に掛けられた数々の訪れた有名人のサイン入り色紙や、地方紙に取り上げられた切抜き記事が空々しく気になった。

一枚随筆  平成12年6月

 この春はたれにか見せむ亡き人のかたみに

摘める峰の早蕨/瀬戸内寂聴訳・源氏物語巻

九は宇治十帖のうちの「早蕨」から始まる。

 続いて「宿木」にヒロイン浮舟登場。「東

屋」で彼女を巡り薫の君と匂宮は恋敵となる。

 読み進め佳境に入る頃、ふと窓辺に目をや

れば春の宵闇暮れなずみ、机上のスタンドに

灯を点ずれば白き障子に淡き火影を映す。

 虫の声聞く燈火親しむ候も好し。梅の香匂

う春燈下の読書、これもまた佳し。定年良哉。

平成12年5月

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 今年のわが家では、私の発案で雛段に内裏様

以外は孫たちの縫いぐるみ人形を全て並べた。

 次々と買った時だけ遊んで、飽きると段ボ

ールへ押し込められたまま、日の目も見ない

で放っておかれる人形たちが哀れに思えたか

らである。様々な人形で埋め尽くされた雛段

は実に豪華で、孫たちにも大受けだった。

 心を耕すのは家庭の中。カルチャーの語源

は「耕す」だ。ジイちゃんは偏差値教育より

も豊かな文化で孫たちの人間性を育てたい。

平成12年4月

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 鳴くよ鶯平安京(遷都七九四年)。年表や

電話番号などの記憶に語呂合わせは便利だ。

 人が瞬時に記憶できる数字は七つ前後とい

うが、チンパンジーの「アイ」ちゃんは五つまで

記憶し、基数と序数の意味も理解する。

 また、視覚障害者の杖に代わるハーネス犬

の車内や店内のマナーはわが家の孫よりは

るかに良いし、動物の情愛美談も数多く聞く。

 さて、保険金目当てに我が子を殺したり気

晴らしに命を奪う輩は霊長類と言えるのか?

平成12年3月

 

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十一月は別に霜月とも言う。

 黄葉が一霜ごとに色づきを増し、やがて落

ち葉となって命を終わる。「霜葉ハ二月ノ花ヨ

リモ紅ナリ」と、霜にうたれた紅葉の美しさを

漢詩では表現している。楓などは地に落ち

ても、しばらくは鮮やかな紅色を保ち、その

葉に粉砂糖をまぶしたように霜がついた時

などは、工芸品のように実に見事だ。

 七十歳の今、四季の季節に我が人生を

重ね合わせた時、さて、どうであろうか。

十行随筆  平成12年2月

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 いろいろある炉の中で、度重なる事故で世

間を騒がせているのが原子炉である。

 が、そんな物騒で厄介な炉はさておき、こ

の季節身近にあって一番役立つのが卓上焜

炉だ。焜炉の上の鍋を囲んで食事をする、家

族団欒の微笑ましい情景は冬の風物詩でも

ある。炉を囲む暮らしは竪穴式住居の時代か

らあって、放射能や中性子の心配もない。

 今夜は冷えてきそうだ。ひとつカミさんと鍋

でもつつきながら一パイ飲むとするか。

平成12年1月

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 十月九・十日、西条で酒祭りがあった。駅から蔵元まで人の流れは絶え間が無い。

 酒屋のシンボルマークともいえる杉玉は新酒ができたという合図で、酒の神様奈良三輪神社の杉の葉を球形に束ねたものから始まったのだそうだ。白牡丹酒造ではよく見かける茶色の枯れた球ではなく、緑の杉玉を初めて目にした。それぞれの蔵元で、利き酒や仕込み水の試飲などをしながら見て廻る。

 昼食は最上の郷土料理美酒鍋(びしょなべ)を食べた。これは、杜氏の下で働く「びしょ」と呼ばれた出稼ぎの人たちの料理で、冬の寒さを凌ぐ最適のエネルギー源だったようだ。

 レシピは、鶏肉豚肉椎茸白菜ネギニラゴボウ豆腐などを煮立てた酒の中に入れ、塩と胡椒で味を付ける。あっさりして美味だった。

 カミさんの土産に本日限定のにごり酒と大吟醸の格安を買って帰る。文字通り秋晴れの一日、安・近・楽のなかなかよい旅だった。

 利き酒に下戸の手も出る酒祭り(当日作)

一枚随筆  平成11年12月

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 誉てこの国には「祝出征」と書かれた幟が

家の門に立ち、多くの若者や一家の大黒柱

の父親が戦場に駆り出された時期があった。

 今はバーゲンセールや新製品のキャンペー

ン・各種イベントの表示など、カラフルな幟が

街中に溢れ、一見平和な世の中が続いてい

る。しかし一方ではガイドライン法が成立し、

君が代・日の丸も法制化した。

 あの悲しみを生んだ幟が、再び立つことが

ないように願いたい。

十行随筆  平成11年11月

 風さん、あなたは不思議な方ですね。いつ

も私達の傍にいるのに姿は見せない。

 台風のように大きくなるかと思えば、赤ち

ゃんの小さな鼻の穴から出たり入ったり。

 暖かい春風になって木の芽や花の種を眠り

から起こしてやっても、秋には冷たい凩にな

ってせっかく色づいた装いを剥ぎ取って行く。

 あなたは私達を楽しませたり失望させたり

いたずらが好きなのですか。でも、家や命ま

で奪って悲しませるのだけはしないでね。

十行随筆  平成11年10月

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 越中おわら風の盆の帰途彦根に下車。まず

は井伊直弼が三百俵の捨扶持で青春時代を

送った埋木舎に寄る。彼はここで文武両道を

幅広く極め、人格形成に大きな影響を受けた。

 次に時代劇のロケによく使われる彦根城表

門橋を渡り天守閣に登る。比良山系から琵琶

湖を渡ってくる涼風が、八尾での猛暑の疲れを

すっきり吹き飛ばしてくれる。ひんやりとした板

の間に大の字に寝ればもう極楽極楽。

 比良の風涼し銃眼貫きて

十行随筆  平成11年10月

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「蛾」は「蛇」に次いで難問だ。「麦・虹」と比較的書き易い題が続いて投稿が増えたので、出題者が難易度を上げて投稿数を押さえようとしているのではないかと勘繰りたくなる。

「蛾」に関する資料を集めたり、「蛾」をネタにして時流を斜めに切る例の手を使えば-

 

 窓に網戸などなかった子どもの頃は、夏の

夜の蚊帳の上の電燈に蛾やカナブンなど色々

な虫が集まって来た。田には誘蛾灯もあった。

 そして、その虫たちを餌にするヤモリ、クモ、

蛙などの小動物が家の内外に見られた。

 しかし、網戸や各種の殺虫剤の普及でこれ

らの虫や小動物は姿を消した。清潔で快適な

暮らしはできるし、農作物の被害も防げるが

昆虫は買わねば飼えぬし、薬品に含まれる

有害物質に人も晒される恐い時代になった。

 

-と書けるがそれもしたくない。

 毎日何か良い方法はないか、新ネタは見付からぬか苦闘している。クモの巣の糸に捕らえられた蛾のように私は今ももがいている。

一枚随筆 平成11年9月

※有志の集まり「ともしび会」では 毎月 「蛾」のように課題が出される。その課題を受けて、十行随筆を作って 持ち寄っている。

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 ずっと以前は、通り雨が去って太陽が雲の

間から顔を出すと、美しい虹を見ることが多か

ったのに、近頃はあまりないように思う。

 「虹・レインボー」の言葉には何か夢や希望

を感じさせる働きがあるようで、会の名称や

店の名前によく使われているし、虹の端が接

する地面を掘ると宝物が出るとも伝えられる。

 虹の現象が減ったのは、地球の環境破壊が

進んできたからであろうか。それとも夢や希

望をなくした人間が増えたからであろうか。

 

ーーと書いてみたがどうも気に入らぬ。十日も過ぎた頃、友人の少年詩集「水の中の虹」に気が付き、早速ページをめくる。

 二十才になった十一名の若者たちが、二年生の時に担任だった彼と当時交わした言葉どおり、師弟が一緒に富士山に登った事を書いた叙事詩「二十才の約束」に胸を打たれる。

 そうだ、明日は久しぶりに長い闘病生活を送っている彼を見舞いに行こう。そうすればもしかすると虹の懸橋が現れるかも知れぬ。

平成11年8月

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 以前は日本の各地に見られた、黄金色の麦

畑が広がる「麦秋」の光景も、今では佐賀平野

など一部の地域でしか見られない。

 農業技術の進歩で米の生産量が増え、安い

輸入麦に押されて、農家が稲の裏作に麦を植

えなくなったからである。「貧乏人は麦を食え」

と放言した大臣がいたが、麦飯 貧乏のイメー

ジは消え、健康食品に変わった。

 だが、終戦の前後はその麦飯さえも無く、

空きっ腹をがまんして毎日を過ごしていた。

十行随筆  平成11年6月

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アオ葉・アオ信号・アオバス(広電バス)

というけれどミドリ色をしているよ

でもアオ空はミドリ色ではない

英語で書けばBlue Skyだから

アオバスはBlue Busかしら

アカちゃんをミドリ児というのはなぜか?

お尻にアオイ痣があるからなのかな

一番面白いのはミドリのクロ髪

いったいどっちの色なの?

外人さんが変に思わないかな

十行随筆  平成11年5月

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 柳 まずは漢和辞典から開いてみる。

 柳眼ハ柳ノ芽。柳条ハ柳ノ枝。柳絮ハ実ガ

熟シ晩春ノ頃、綿ノヨウニ乱レ飛ブコトカ。

柳緑花紅=柳ハ緑、花は紅、春ノ自然ノアリ

サマ[蘇軾・詩]トアル。柳腰ハ知ッテイタガ

柳髪ガ美人ノ髪ノ形容トハ知ラナカッタ。

 退職後十年、預金利息を雀の涙どころか虫

の涙まで下げられ金は貯まらぬが、晴行(晴

れの日は外出)雨読、こうして知的財産はい

くらでも増やせる。定年良哉、我悠々楽老春。

平成11年4月

 

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 明かりを付けましょぼんぼりにーーーーと

歌うところを三才だった末の孫は、いくら教

えても「ぼんぼろりん」と歌っていた。

 三人の孫が成長するにつれて家財道具も

増え、勉強机やパソコン、縫いぐるみを筆頭

にしたおびただしい量の玩具などが私たち老

人の居住区に越境を始め、占拠していった。

 まもなく雛祭り、桃の節句だ・「ぼんぼろり

ん」の孫も今では一年生。七段飾りの雛人

形をどうやって飾ろうかとジイちゃんは悩む。

十行随筆 平成11年3月

 もういくつ寝るとお正月、お正月には凧上

げてーーと歌には歌われているが、今どき凧

が舞う姿など、地域の伝統行事か子ども会の

行事でもない限り滅多にお目にかかれない。

 映画「男はつらいよ」では、ラストがいつも

正月の空に凧が上がっている。のどかなシー

ンで終わっていたように思うが、寅さんが亡

くなった今ではそれももう駄目になった。

 辛うじて、デパートの迎春の飾り付けの中

で、武者絵の凧がさびしく生き残っている。

平成11年2月

 奥志賀の高原へスキーに行っていた頃、一

度だけ空気中の水蒸気が氷るダイヤモンドス

ノーを見たことがある。朝日を受けてきらきら

と光る輝きは、まさにその名のとおりだった。

 北海道ではよく現れると聞いていたので、

毎年有名スキー場を滑って北上し、北海道で

それを見て終わりにしようと思ったが、足が駄

目になり蔵王で終わった。

 雪便りを聞く度に、その時の光景が鮮やか

に蘇るのは一度きりだったからだろうか。

平成11年1月

 恐慌後の大正十年三月、己は河原の枯れ

芒で始まる「船頭小唄」が流行し、昭和四十

年代後半の石油危機の頃だったと思うが、

再び「昭和枯れすすき」の哀調が巷に流れた。

 どちらにも-二人は花の咲かない枯れ芒-

という歌詞が見受けられ、メロディーが片や

バイオリン、片やギターでもの哀しく演奏され

ているところなどが似ていて面白い。

 今、失業や倒産相次ぐ不景気のまっ只中。

「平成枯れ芒」が生まれてもおかしくはない。

平成10年12月

 七月十四日正午過ぎ、昨年「八尾風の盆」にも同行した俳人S氏と共に博多に着く。

 毎年七月一日から始まるこの行事は、十五日間にわたる博多の熱き男たちの戦いだ。十四日目の「流れ舁き」は、半日後に迫った「追い山笠」に向けて、最後の調整を行う為である。駅ビル食堂街でまずは腹ごしらえだ。

 夕刻四時、それぞれの「流れ」の集合場所に集まった男たちの「締め込み」姿は凛々しさ溢れ、日焼けした尻の擦り傷に貼った絆創膏は、博多男の勲章といったところだろうか。「オイッサ、オイッサ」の掛け声を挙げて走る「流れ」に向かって、沿道に用意してあった水がかけられ、水しぶきが逆光に映え絶好のシャッターチャンスだ。大きな大人に混じって走る幼児の捻じり鉢巻きの法被姿や、自慢の孫を肩車にして歩く年寄りの姿などを次々と撮りまくる。カメラマンは息をつく暇も無く、流れる汗が目に染みる。

 明けて十五日、午前四時五十九分の一番山笠の櫛田神社入りで、祭りは最高潮に達する。七流れのある「舁き山笠」は五分置きにスタート、払暁の博多の街を五キロにわたって走る。

 街路樹の支柱に登ってカメラを構えて待つ。来たっ。望遠レンズを向けてファインダーに被写体を求めるカメラマンは、獲物を狙うハンター、いや敵兵を迎え撃つスナイパーそっくりだ。シャッターを続けて切る。

 次第に夜も白み朝日も差し始める。いかに九州男児といえど、肩に食い込む山笠の五トンの重さに耐えて、五キロメートルの道のりを走り抜くのは難行だ。コース半ばでスピードダウンする「流れ」もある。

 六時過ぎゴールに到着した山笠は、それぞれの地域に帰り直ちに解体され、通りの一画に用意された打ち上げ慰労会で酒宴が始まる。

 昨年の「八尾風の盆」の哀調を帯びた胡弓の音もよかったが、「流れ」の名誉をかけて競う「追い山笠」こそ、博多の街にふさわしい男の意地を見せた迫力のある祭りだった。

 酒好きのS氏は、昨夜千鳥足で上機嫌の御前様でホテルに帰ると、「○○(私)さん、わしゃあ、博多が気に入った。飲みよったら隣の男と気が合うてのう、彼に誘われてハシゴをして飲ませてもろうた上、ホテルまでタクシーで送ってもろたんでえ、わしゃあ博多が気に入った。」と曰い、服を脱ぎ捨てベッドの上へ倒れこんでバタンキュー。「糞ったれ。風邪をひいても知らんでえ。」とは思ったが体調を崩されてはお荷物になるので、蒲団を柏餅のようにかけてやる。でも、朝四時には目を覚ましてくれ、別々に「追い山笠」を取材して、約束の待ち合わせ時刻に無事合流した。そして、次の目的地の五島列島へ向かった。

平成10年11月

 日本列島にはナイアガラのような巨瀑は無

いが、全国各地の渓谷には必ずと言ってよ

いほど、有名無名の清らかな滝が沢山ある。

 そして詩歌に歌われ、床の間の山水の掛軸

に画かれ、日本庭園にも欠かせない存在にな

っている。また、日本人自身も滝に対して信

仰心を持ち、滝口に〆縄を張ったり、水に打

たれて身を清めたりする。

 しかしわたしは、温泉の筧から落ちる打た

せ湯が一番嬉しい。

平成10年10月

 私の耳の中には、ずっと以前から蝉が住み

ついている。そして朝目が覚めると同時に鳴

き始めるのだ。

 特に、睡眠不足で夜が明けた時などはやか

ましくて、裏の皿山で鳴く本物の蝉の聲も聞

こえないぐらいだ。蝉の聲が止んでいるのは

人と話している時や、運動や体を動かして仕

事をしている時ぐらいで、夜床について眠る

まで泣き続ける。

 夏が終わっても、一年中泣き続けている。

平成10年9月

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