切り倒されてから一か月以上も放置された街路
樹から、小さな芽が吹き緑の双葉となり、陽
を一パイ受けているのが目に止まった。
この樹は、駅前再開発の邪魔になるので焼
却処分にされるのだそうだ。根の無い樹であ
る以上、幹に残る樹液が無くなれば、芽が枯
れるのは明らかである。それでも最後の力を
ふりしぼって、生の証しを示そうとしている。
この建気な営みの前に、しばらく立ちつく
している私であった。
切り倒されてから一か月以上も放置された街路
樹から、小さな芽が吹き緑の双葉となり、陽
を一パイ受けているのが目に止まった。
この樹は、駅前再開発の邪魔になるので焼
却処分にされるのだそうだ。根の無い樹であ
る以上、幹に残る樹液が無くなれば、芽が枯
れるのは明らかである。それでも最後の力を
ふりしぼって、生の証しを示そうとしている。
この建気な営みの前に、しばらく立ちつく
している私であった。
私の贈った山靴で、大山の氷雪を踏む事を
楽しみにしていたHNさんも病に倒れ、互い
に顔を合わす事はできても、言葉を交わす事
のできぬ身となった。
「この山靴をあんたに譲ったら、あんたが遭
難した時助けに行かれんけえのう」と言って
いたのに、六年間彼は一言も返せず、私は何
もしてやれない。
深いクレパス(氷の割れ目)の底に閉じ込
められた友に、空しく呼びかけるだけである。
平成9年4月
「僕もいま冬山の氷の壁を見せたい人がある
とすれば、失礼な言い種ですが、貴女だと思
ふんです」--井上靖の小説「氷壁」の中で
魚津恭太が美那子に愛を告白する場面である。
山登りに魅せられていたその頃、へそくり
を貯めては山の道具や服装を買い、いつか冬
山にも・・と夢を抱いたが実現しなかった。
その時の寝袋だけは、今でも毎冬出して夜
の防寒用に使っているが、それも色褪せ綻び
てきた。そして私の青春も・・・・
平成九年三月
餅と呼ばれるものは、蒸した餅米を搗いた
ものを言うのだろうが、ぼた餅は炊いて丸め
てまわりに餡をまぶす。柏餅は餅米の粉を練
って餡を入れて蒸す。同じものでも、春の彼
岸はぼた餅で、秋の彼岸はおはぎだそうだ。
また、同じ餅米の粉から作っても、柏餅は
団子ともいうが、月見に供えるのは月見団子
で月見餅とは言わない。
蒸すか、炊くか、搗くか、粉か、季節の違
いであろうが、ややこしいなあ。
平成9年2月
護国神社が招魂社と呼ばれていた頃、毎秋
招魂祭があった。今の県庁、市民病院にあた
る西練兵場ではオートレースが行われ、露
店で買ったさとうきびの茎をかみながら、高
島と島村の爆走を応援したものだ。さとうこ
びの甘い汁と、オートバイのはじけるような
爆音と青い排気ガスの匂いが、今でも蘇って
くる。その他サーカスやろくろくびの見世物
小屋、飴細工、バナナの叩き売りetc、こ
の郷愁は失われた祭だからだろうか。
平成8年11月
こないだの朝、本通り裏の病院へ急いどったんで、一方通行の道をうっかり三十メートルほど逆走したんでさあ。
交番のお巡りにつかまって、違反切符を切られて、七千円の罰金を払うようになったんじゃじゃが、わしゃ違反はしたが、誰にも迷惑をかけたわけじゃありめん。
違法駐車や暴走でえっと迷惑をかけとるのがいっぱいおるのに、ああようなんは取り締まらんといて、何でわしが七千円も払わされるんかいのうと、腹がたったんでがんす。
つかまえるより、こかあ一方通行で入れんと教えて、違反を防ぐのがほんまの警察のあり方じゃろうに、はあこんどから事件でもあった時、聞き込みに来ても、協力したるもんかいと思いやんした。
平成八年十月
親指で皮を一押しすると、プチンと音を立
てて割れる天津甘栗は、私の大好物だ。
栗は外に、栗飯、栗きんとん、渋皮煮、勝
栗、マロングラッセ、栗羊かん、栗ぜんざい
など、料理や菓子の食材に広く使われている。
いずれもほどよい自然の甘さが受けるのであ
ろう。他の果実のように、派手な色や香りや
甘さがなく地味な存在なのに、庶民の食生活
を豊かにしている。果実の中の寅さんと言っ
たところだろうか。人間もかくありたい。
平成8年9月
親のスネを齧って、冷暖房付きの1DKか
ら自家用車でキャンパスへ通い、アルバイト
をしても学資ではなく、遊ぶ為の軍資金を稼い
でいるのが、現代の普通の学生のようだ。し
かし、中には親に頼らず、働いて学資も生活
費も得ている、建気な若者もいる。ドラマ「
大地の子」で好評を博した主演男優、上川隆
也もその一人だ。自然界のホタルも減ってきたが
このように蛍雪の功成り遂げた苦学生も少なく
なった。日本も豊かになったのであろう。
平成8年8月
校長はワンマンで名が通っていた。その
意に逆らおうものなら、「ワシの言うことが
聞けんのなら、辞めんさい。」と怒声が返っ
てきた。私達はこれを雷が落ちたと言ってい
た。しかし、その反面、自分が認めたことにつ
いては、どんな失敗があっても叱責はなく、
自分が代わって責任を負って事の処理に当た
られた。雷を落とす父親や管理職がどこにも
見当たらね現在、厳父、厳格、威厳などの言
葉を復活できぬものであろうか。
平成8年
我が家の一番下の孫は、四才になっても夜寝る時には、まだおムツをしなければなりませんでした。時おり孫に向かって、
「Aちゃんは、いつになったらおムツをしないで寝んねするんかねえ。」
と言うと、彼女からは次のような答えが決まって返ってくるのでした。
「だって、ミホちゃんだてタカくんだって、まだおムツしてるもん。」
ところが、そのミホちゃんもタカくんもやがておムツをしないようになりました。どうやら、保育園の同じクラスの中では彼女だけになってきたようでした。それでもまだ、
「ミホちゃんもタカくんも、Aちゃんより早く生まれているでしょ。だからAちゃんはまだしてもいいの。」
と、さも、当然といった口ぶりです。
そうこうしているうちに、さすがの彼女も少し恥ずかしくなったのか、ある日とつぜん、
「Aちゃん、もう今晩からおムツしない。」
と言い出しました。とは言っても、夜トイレに行きたくなってひとりで起きることなど到底できません。そうなると、毎晩一緒に寝ているバアちゃんは寝たら最後ま朝まで目が覚めない人ですから、夜中に定刻に起こす役目は当然私に廻ってきます。
最初の夜は、孫も失敗しないか不安そうでしたが、なんとか無事に朝が迎えられ、
「Aちゃんもおムツがはずせたねえ。えらい。えらい。」
とほめてやると、
「Aちゃんはおムツしないから、もう梅組さんになれるよね。」
と嬉しそうに言いました。それから後一度失敗はありましたが、今日まで年寄り二人の共同作業で無事にすんでいます。でもひとりで目を覚まして、トイレに行ってくれるようになるまでは、ずいぶん月日がかかることでしょう。
ところで、このおムツバばなれの早さについて、三人の孫を比べてみると、上から下になるほど遅れているようです。そして、そのわりあいは使い捨ての紙おムツの普及度にあるようです。
確か一番上の孫は、紙おムツでなく、布で作った昔ながらのおムツで育ったようです。二番目の孫のころから紙おムツが使われ始め、三番目となると、テレビのコマーシャルでお分かりのように、吸収力もすぐれ、赤ちゃんのお尻はいつも気持ちよく過ごせる、たいへん便利な紙おムツが登場してきました。
科学の進歩が人間の暮らしを便利にしていることは分るのですが、一方では、人間の自立を妨げているような気がしてなりません。
平成8年6月
角川春樹の麻薬事件が大きな反響を呼んだ。彼を狂わせたものは、出版に映画に、次々と成功し過ぎて、自分の能力に溺れたからではなかろうか。
霊能者宜保愛子も、最近では週刊誌でだいぶん叩かれている。彼女も売れっ子になり過ぎて「生き霊を飛ばして苦しめてやる。」などの暴言を吐く、傍若無人のふるまいをするようになったからである。
今、中野浩次の「清貧の思想」がベストセラーとなって、今年の三月三日現在三十四刷にまで達し、続いて八月には、第二弾の「清貧の生きかた」を世に出した。彼には、角川春樹や宜保愛子の二の舞をさせたくない。
有名になり過ぎるというのは怖いものだ。私は無名でよかった。
平成5年12月
私は牛田で生まれ育った。そして、その家の情景は夢の中で鮮明に出てくるのに、今住んでいる江波の家の夢は、殆ど見ることがない。これはなぜであろうか。
やはり、八月六日の原爆によって焼失し、夕方家にたどりついて、灰燼に帰して変わり果てた姿を見たときのショックが潜在意識として心のどこかにまだ残っているからであろうか。
今も世界のあちらこちらで、私と同じ戦争の悲しみを味わっている人たちが絶えない。本当に心の傷むことだ。
その四十九回目の八月六日が明日やってくる。私は朝早く、静かなまだほの暗い光の中で慰霊碑に祈りを捧げたい。
三百字随筆
平成五年
今日学校へ行ったら、U先生が来なかったのでさみしかった。ほかの先生が「先生の奥さんがひどい病気で先生が来られない」と言った。
先生の奥さん、早く元気になってください。
× × ×
これは、家内の急病で欠勤した翌日、O君がくれた一枚の葉書である。
O君はクラス一のあばれん坊で、毎日、私から叱られることがあっても、ほめられることのない子であった。
そのO君の葉書を読んだとき、私は脳天を打ちくだかれたような衝撃を受けた。彼の心のやさしさを見抜けず、叱りまくった不明を恥ずかしく思った。
この一枚の葉書は、今も文箱の中に、宝物としてしまってある。
三百字随筆
平成三年五月
アサヒビールとキリンビールのドライ戦争に端を発し、モルト、ドラフト、ラガー、一番搾りなど、この業界の新製品が次々と登場し、メーカーの違いを入れれば五十種類を越すであろう。
どれだけ味が違うものか、十数種買ってきて、利き酒ならぬ利きビールを試みてみたが、違うと思えば少しは違うようであるが、所詮ビールはビール、あまり差はない。コップ三杯も飲めば酔いも加わり、どれもみな同じになってくる。ビールは、やはり、一番飲みたいときに、適度に冷えた飲みごろのやつを飲んだときが、最高にうまい。
ネーミングにこだわって、指定されるご仁もあるが、そんなことはどうでもよい。ビールを廻せ!底まで飲もう!
三百字随筆
平成二年八月
私とEさんの出会いは、白島小学校で同学年になったときである。ともに山好きで、奥さんの御父上と私と父が昵懇であったことから、すぐに意気投合し、よく山の話をした。けれども、一緒に山へ登ることが一度もなかったのだから不思議である。
それは、同じ山好きでも、彼は家族の心配もよそに冬の大山へ単独で登るような求道的な面があり、私はあちらこちらと方々の山を歩いて自然と親しむ、さすらい人のような面があって、山に求めているものが少し違っていたからかもしれない。
吹雪との格闘に備えて、普段からピッケルの柄に亜麻仁油をぬっておくとか、アイゼンは八本ヅメでないとアイスバーンの上を歩くとき危険であるとか、冬山のきびしさについて語る彼の顔に、その芯の強さがうかがえた。処女出版になった、詩集「せみのたんじょう」の中で次のように山へ呼びかけている。
山よ
おまえたちは
変わることのない
性格と心を持っている。
ところが、その彼にある重大事が持ち上がったのである。というのは、彼の登山靴が度重なる酷使で傷んで、もう長く履けそうになくなってきたのである。
(続く)
夏山なら布製のキャラバンシューズでも間に合うが、冬山では皮の登山靴は絶対欠かすことのできない装備だ。
困った彼は、私の持っていた、登山靴の老舗吉田屋製の自慢の靴に目を着け、「あんたはええ靴持っとるのう。山へ登れんようになったら、わしが履いたるけ譲れ」と迫ってきた。そこで私も負けずに「いや、この靴はあんたには絶対に譲れん。もし、あんたが冬山で遭難したら、わしが一番に捜索に駆けつけにぁならんでのおう。その時履く靴がないと困るけえ譲れんわい。」と拒んだ。
この「譲れ」「譲らぬ」の応酬は、お互いに勤務校が変わっても、国語の会合で飲むたびに執拗に繰り返された。そしてお互いの山登りは、多忙や老化も加わっていつしか途絶えがちとなった。しかし、彼は、二番目の詩集「水の中の虹」では 「山が呼んでいる」と題して八編の山の詩を載せ、相変わらず山への情熱を燃やし続けていた。
そして、共に還暦を迎えた今年、Eさんから三冊目の詩集が届けられた。
「水辺の祈り」である。
それには山の詩は一編も載せられてはいないが、彼がかつて対峙した穂高の岩峰や、氷雪の大山頂上の詩に、はるかに勝る気迫を感じることができた。私も同じ被爆者の一人である。彼の詩の一言一句が全て胸に響き、それは同時に私の願いでもあった。八月六日の状況がまざまざと頭に浮かび、感動の涙があふれた。
そこで、私は感謝の気持ちを表わし、彼の還暦を祝って、とうとう彼が欲しがっていた私の登山靴を贈ることに決めたのである。
過日、御子息のJ君を通して渡してもらったところ、足の大きさもちょうど合ったようで、私もうれしかった。この山靴から今後も第四、第五・・・と詩集が生まれるであろう。
ところで、この私の拙文をお読みいただいた方は、私が彼に登山靴を贈った本当のねらいが何か、もうお分かりいただけたであろうか。